お互いを認め合うとは…どういったことでしょうか?
漫画の一コマのように固い握手やハイタッチで分かり合う…そんな光景は実生活ではなかなかお目にかかることはありませんね。
では、考えや方法論が違う相手を「認める」とはどういった思考になる必要があるのでしょうか。
仕事や実生活で
「こいつとはやり方が違う」
「こいつのやり方は気に入らない」
「考え方が違う」
よくある事です。
なぜなら、貴方は貴方でしかなく、他者ではないから。
100%他者を理解するなんて…そもそも無理な話し。
しかし、いかんせん…そういった「こいつは違う」という思いや感覚はイコールで「だから嫌い」となり、コミュニケーション自体を断絶する場合が多くなります。
仕事や実生活、一人で出来る事には限界があります。
他者の存在が必要な場面、また自身が当たるのではなく他者の方がベターな場合に遭遇することも少なく無い筈です。
そんな時にコミュニケーションを断絶している場合ではありません。
日頃からの関係性が問われてしまう瞬間です。
では、そういった「こいつは違う」人に対する時、どういった精神状態、視点でいるべきでしょうか?
答えは意外と簡単
「こいつは違う…けど居てもいい」
でしょう。
思考、思想、方法論が違うのは「当然」の事です。これは先程もご説明したとおり。
要は自身と同じ思考の人は一人たりともいません。
なので、差異自体を「嫌悪」するのはナンセンスです。
他者と自身との「差異」があるのを【前提】として、それをことさらに「嫌悪」せず「存在を認める」。kれこそが他者を認める思考では無いでしょうか。
若干行き過ぎた「グローバリゼーション」の反動から「ナショナリズム」的な思想が注目され、アメリカのトランプ政権が生まれ、スペインの地方の独立運動が起きたり、日本でもネット右翼が注目されてしまっていますが…コレ全て「差異」を「嫌悪」しているだけの話し。
違うのが当たり前。そのうえで、存在を認めていく。
建設的な関係性を保つ、一つの手段だと思います。