面接は裁判ではない
結論から申し上げると、「転職活動は裁判や審議の場ではありません」という事です。
もちろん、面接官は転職理由の妥当性を測ろうとしますし、一定レベルの審議はされます。
そこで、前職や現職がいかに酷い労働環境であったか、どんなに酷い条件であったか、いかに約束を反故されたかを客観的に検証・証明しようとされる方がいらっしゃいます。
しかし、前職・現職がいくら酷い職場である事が事実であったとしても、残念ながら、面接官にとっては同情はしても、利害がないのです。
選択の責任
「むしろそういった会社・職場を選択したのは、大人であるあなたの責任でしょう」と前職の劣悪さを証明されればされる程、なぜその職場を選択したのかという選択・意思決定能力について疑いを持つものなのです。
友人の恋愛相談などの身近な例で例えると、「本当にひどい男や女につかまってしまった・・!」と愚痴り、毒づく友人に、そんな相手を好きになり、引き寄せたり、選んだのもあなたでしょう、と白けて感じた事はないでしょうか。
面接官もまさに同じ気持ちなのです。
企業は自らを変えていける人を評価する
そこで、裁判のように真実を追求し、私が退職を選ぶのは致し方なかったのだと、弁明するよりも、自分の選択の仕方のどこに不備があったのか、何が課題だったのか原因究明し、では次はどういった選択基準を持つべきか、意思決定プロセスを改善すべきか、と自らに反省を促し、改善をしていこうと考える人を面接官は選ぶものです。
非常にシビアな話ではありますが、採用企業は同情して慰めてくれる友達ではなく、あくまで利害関係者であなたを採用する事にメリットがあるか否かをジャッジする当事者であるという事を忘れてはいけません。